January 31, 2006

調子にのってもう一枚

ブログ用1・31.jpg
写真を載せる試みが成功したのが嬉しくて、また新しい一枚です。
昨日の伊豆は春の嵐のような風が吹き、鳥たちはさえずり始め、
一日だけ春が舞い込んだような日だったの。
浮かれて庭に出て、しげしげと土を見ると、もう春の雑草たちがしっかり根を張っていた。
春の雑草は、冬の間から準備を始めるので、根がとても大きいの。
一本引き抜くと、土の香りがぱーっと広がって・・至福のとき。
そらと一緒に、土の感触を堪能しました。
で、木登りそら。最初は登るだけ登って降りられなかったのに、今は自力で登り降りしています。
こうして写真にしてみると、空はまだ、冬の空色だね。

投稿者: くら : January 31, 09:21 | Comments (0) | Trackbacks (0)

January 30, 2006

うまくできたかな

ブログ用そら(サイズ修正済み).jpg
初めて自力で写真をアップロードしてみた。今現在、このコメントの上には奇怪な文字が並んでいるが、これでうまくいったのだろうか?
うまくいっていると仮定して、写真の説明。
まだ花芽があがってこないジャスミンは、人間の鼻にはあまり香らないんだけど、ねこの鼻には香るらしい。私の一番好きな花の茂みに、鼻を突っ込んでいるそらです。
そらに名前をつけるとき、イチバン好きな野菜なら、そらまめ、イチバン好きな花なら、ジャスミン、と迷った末にそらまめになったの。ジャスミンになったかも知れないそらが、ジャスミンを好きなのは、偶然?

投稿者: くら : January 30, 09:51 | Comments (0) | Trackbacks (0)

January 29, 2006

そらのこと そして みること

sora.jpg

本名、松本そらまめ。通称、そら。
そらとくらは、ぐりとぐらのようだね、と仲良しの友人に言われ、悦にいっている。
ただいま、膝の上で、お腹を出して爆睡中。
そらを観察していると、私が見ているときの方が、張り切って遊ぶみたいだ、と思う。おもちゃの散らかり具合からの推察なんだけど、ね。
見られると張り合いがでるって、面白いな、と思うの。
見るって、意識的な行為で、、意識が何かに光を当てる感じがするの。光が当たると、存在が際立つのね、そして、際立つとなんだか嬉しくなってくるのね。
自分のからだを感じていても、そういう体験をいっぱいします。
からだのあちこちにひとつずつ意識を向けていく、リラクセーション誘導をやったら、意識を向けたところの細胞たちが、旗を振って答えていた、とても賑やかだった、といった友人がいます。そんな感じ。
私も、ひとも、そらも、宇宙も、存在はみんな、見て見て、と言っている気がする。
その視線のやりとりが、全部を支えているような気もする。

投稿者: くら : January 29, 21:24 | Comments (15) | Trackbacks (0)

潮ちゃんと出会った

もうすぐ出来るリンク先に入る予定のアロマハウス・オレンジスイート、その主催者が潮ちゃんです。
最初の出会いは、もう10数年前。
潮ちゃんはとある精神世界雑誌の編集者、私は取材を受けるヨガ教室主催者、でした。とても素敵な記事を書いてもらって、こんなに私の意を汲んでくれるひとと出会ったんだ、と私は瞠目しました。
文通だけの日々が長く続いて、次に出会ったのは、エサレンマッサージの養成コースに参加した初日・・同期生でした。お互い参加することを知らなかったので、ホントに驚いた。そして、人見知りの私は、ホントに安心した。潮ちゃんに助けられて、長い合宿生活を乗り切った、と思っています。

潮ちゃんは、この世界の仕組みを問いかけ続け、そうかな!と思ったことは実践して検証しつづける、私の言葉では、哲学実践者です。私は彼女が検証する新しい世界の仕組みに、直感的な正しさを感じ続けています。

その潮ちゃんに半年振りに出会って、私に残った言葉たち。そこから出てきた私の想い。

潮)私たち存在というのは、ホントにからっぽで、からだも意識も無意識も、外側なんじゃないかと、実感し始めた。

・・・・内側の内側は、いつも外側、たとえば、腸壁が外側であるように(これ、野見山セミナーで知ったこと)。たとえば、私たちの追及が、いつも、たまねぎの皮を剥いていくのに似るように。そして、その面白みは、内と外がひっくり返る瞬間、ただその一瞬にあるように。

潮)だからね、ホントにからっぽだから、ネットワークだけに実体があるのだと感じている。

・・・神は、ひととひとの間に宿る という映画のセリフがあったね。私も、そうじゃないかと思うのよ。

潮)でね、私たちと同じように神様もけっこう不自由らしい。そう判ったら、親近感が出てきた。

・・・ある日、直観で、神さまはダチ、という言葉が降ってきて、それからの私、少し楽になった。ダチとしての神様は、とっても頼れて、とっても頼りなくて、でもダチだから、好き。

潮ちゃんと話していて、ご縁 とか、ご用とか、そんな言葉がますます近しくなった。
とまあ、銀座のど真ん中で、昨日こんなヘンチクリンなやりとりをしている二人でした。
このあたりのこと、潮ちゃんは、ブログでも展開している。面白いよ。

投稿者: くら : January 29, 20:46 | Comments (1) | Trackbacks (0)

January 22, 2006

リーラってなに?

リーラハウスのリーラって、どんな意味?という質問を受けます。

サンスクリット語の経典のなかに、この世界は神々のリーラである、という一節があるそうな。宇宙を創造した意識は、そこで展開するすべてを、遊びのように思って楽しんでいる、という意味だそうな。

宇宙を創造した意識 は、私のなかにも皆のなかにも流れ込んでいる、と思っているので、つまりは、私たち一生懸命いろんなことやってるけど、それは皆遊びだよという意識もどこかにもっているのだね、そのことを覚えておきたくて、リーラという言葉を使っているの。
特に私は、時々まじめになりすぎるし、そうすると視野が狭くなっちゃうから、自戒の意味も含めて。遊びだった! と思い出すと、肩が軽くなるものね。

投稿者: くら : January 22, 10:43 | Comments (1) | Trackbacks (0)

お尻はふたつ

お尻って、ふたつに分かれてるんだ!と初めて体感したのは、クラニオのワークショップで毎日からだ漬け(?)になっていたある日のこと、骨盤の探索がずいぶん進んだ頃でした。新しいからだの感覚がひらいた感動は忘れません。

脚って、二本に分かれたところが始まりではなく、お尻からふたつに分かれて始まっているのですね。その感覚がつかめると、歩く脚は長くなるし、一足ごとに全身が揺れて、歩行は波のように優雅になります。

この感覚の一歩目につながるのが、お尻歩き。
脚を前に投げ出して座ります。おへそから股関節に向かって二本の脚がはえている、足の裏は坐骨のぐりぐり、とイメージして、上半身をおおきくひねりながら、歩いてみます。
このとき、腰を丸くせず伸ばしておくのがコツ。頭から尾骨まで一本の柱を通し、この柱の回転で進んでいくのです。
柱を回転させる時は(上半身をひねる時は)、息を吐きます。吐く息でリズムを取るようにして、進みます。
数歩進んだら、今度はバック。後ずさる脚と同方向に上半身をひねれば、後ろに歩けます。

おなかの力をしっかり使うので、最初はかなりハードに感じる動きですが、すばらしい全身運動です。
私のヨガクラスはいつも、この運動から始まります。からだを目覚めさせ、活性化させるのにイチバン、と思っています。もちろん、おなかの贅肉をとるのにも、イチバンなんだよ。

投稿者: くら : January 22, 10:01 | Comments (0) | Trackbacks (0)

January 14, 2006

松本 そらまめ

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うちのネコちゃんです。よろしくね。

投稿者: くら : January 14, 22:14 | Comments (0) | Trackbacks (0)

ヨガスタジオで、ワークショップをやるよ

3月5日(日曜日)東京渋谷の神南スタジオにて
「ふれる かよう ひとつ」というワークショップをやります。
触れることで起こる、自分の変化・相手の変化をからだで感じていく、実験的な試み。

定員20名 料金7000円
詳しくは 東京ヨガ.COM

投稿者: くら : January 14, 21:42 | Comments (2) | Trackbacks (0)

January 12, 2006

花時計

からだを動かすのが嫌いな、どんな怠け者でも、やってみようかなと思える動きです。
ゴロンと横向きに寝て、上になっている腕を、ゆっくりゆっくり、
まるで花時計の針が動くようなのんびりさで、まわしていく――これだけ。
ポイントは、腕の力でグイグイ回すのではなく、
腕の重みを使って、その重さでジワーッと伸びてくる部分を味わうこと です。
やってみると、肩の周りのいろんな筋肉を探検するみたい。
ふーん、ここが伸びると気持ちいいんだ、この角度の時はイタ気持ちいいかな、
この角度だとイタイだけだから、ここは通り過ぎよう。
探検しているうちに、あくびが出たり、涙が出たり、そのまま眠ってしまったり・・・。
肩や首が凝るヒトや、すぐ鼻が詰まるヒト、目が疲れているヒト、おススメです。

投稿者: くら : January 12, 16:47 | Comments (0) | Trackbacks (0)

January 8, 2006

からだ会議

ヒトや子猫や草木たちと コミュニケーションがとれるように、
自分のからだとも コミュニケーションをとってみる。
からだを動かしながら、どんな感じがどこに広がるか、からだの内を感じてみる。
どこかを伸ばすと、気持ちいい!という感覚がからだから返ってきて、ため息をつく。
すると、今度はここ! とからだからリクエストが出てくる。
あるいは、ちょっとお休み! と言われて、大の字でゆるむ。
細胞たちが、ジワッと満ちるのを、感じる。
まるで、からだのアチコチと会議しているような、賑やかで鎮まった時間。
そんな時間を重ねていると、自分のからだが素敵な味方に思われて、大丈夫 になる。
いま、生きていて、ここにいる というだけで、自分が好きになっていく。
いま、生きていて、ここにいる というだけで、他のものたちが好きになっていく。
そんなからだ遊びのアレコレを、ご紹介したいな。

投稿者: くら : January 8, 16:46 | Comments (0) | Trackbacks (0)

January 6, 2006

いのち繁えませり

年の始まりですものね。
そして、このブログの始まりでもあるので、ちょっとカッコ良くいきたいな、と。
最近気に入りの、お祈りです。
最初は、ヒトに触れていて、つながった感覚があって、シンと鎮まったときに、
もわもわっと内側から湧いてきたの。
それを言葉にしたら、〔いのち繁えませり〕になりました。
この思いが欲しくて触れているんだな、というジャストの感覚がありました。
思いがうまく湧いてこない時は、言葉をまずつぶやいて、近づいていく、
そんな使い方をしています。
もっともっと、この思いを味わいたいので、今年の私のキーワードです。

投稿者: くら : January 6, 16:43 | Comments (8) | Trackbacks (0)